緯で、私の家にもラジオというものが、そなわったけれども、私は相かわらず、あちこち、あちこちなので、しみじみ聴取した事は、ほとんど無いのである。たまに私の作品が放送せられる時でも、私は、うっかり聞きのがす。
つまり、一言にしていえば、私はラジオに期待していなかったのである。
ところが先日、病気で寝ながら、ラジオの所謂「番組」の、はじめから終りまで、ほとんど全部を聞いてみた。聞いてみると、これもやはりアメリカの人たちの指導のおかげか、戦前、戦時中のあの野暮ったさは幾分消えて、なんと、なかなか賑《にぎ》やかなもので、突如として教会の鐘のごときものが鳴り出したり、琴の音が響いて来たり、また間断無く外国古典名曲のレコード、どうにもいろいろと工夫に富み、聴き手を飽かせまいという親切心から、幕間というものが一刻も無く、うっかり聞いているうちに昼になり、夜になり、一ページの読書も出来ないという仕掛けになっているのである。そうして、夜の八時だか九時だかに、私は妙なものを聴取した。
街頭録音というものである。所謂政府の役人と、所謂民衆とが街頭に於いて互いに意見を述べ合うという趣向である。
所謂民衆
前へ
次へ
全19ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング