やよ。」言下に拒否した。顔を少し赤くして、くつくつ笑っている。「お留守のあいだは、いやよ。」
「なんだ、」小坂氏はちょっとまごついて、「何を言うのです。他人に貸すわけじゃあるまいし。」
「お父さん、」と上の姉さんも笑いながら、「そりゃ当り前よ。お父さんには、わからない。お帰りの日までは、どんなに親しい人にだって手をふれさせずに、なんでも、そっくりそのままにして置かなければ。」
「ばかな事を。」小坂氏は、複雑に笑った。
「ばかじゃないわ。」そう呟《つぶや》いて一瞬、上の姉さんは堪えがたいくらい厳粛な顔をした。すぐにまた笑い出して、「うちのモオニングを貸してあげましょう。少しナフタリン臭くなっているかも知れませんけど、ね、」と私のほうに向き直って言って、「うちのひとには、もう、なんにも要《い》らないのです。モオニングが、こんな晴れの日にお役に立ったら、うちのひとだって、よろこぶ事でございましょう。ゆるして下さるそうです。」爽《さわ》やかに笑っている。
「は、いや。」私は意味不明の事を言った。
 廊下を出たら、大隅君がズボンに両手を突込んで仏頂面してうろうろしていた。私は大隅君の背中をどんと
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