どうも、のんき過ぎますから。」
「それは心配ないだろう。武家の娘は、かえって男を敬《うやま》うものだ。」先生は、真面目である。「それよりも、どうだろう。大隅の頭はだいぶ禿げ上っていたようだが。」やっぱり、その事が先生にとっても、まず第一に気がかりになる様子であった。まことに、海よりも深きは師の恩である。私は、ほろりとした。
「たぶん、大丈夫だろうと思います。北京から送られて来た写真を見ましたが、あれ以上進捗していないようです。なんでも、いまは、イタリヤ製のいい薬があるそうですし、それに先方の小坂吉之助氏だって、ずいぶん見事な、――」
「それは、としとってから禿げるのは当りまえの事だが。」先生は、浮かぬ顔をしてそう言った。先生も、ずいぶん見事に禿げておられた。
数日後、大隅忠太郎君は折鞄《おりかばん》一つかかえて、三鷹の私の陋屋《ろうおく》の玄関に、のっそりと現われた。お嫁さんを迎えに、はるばる北京からやって来たのだ。日焼けした精悍《せいかん》な顔になっていた。生活の苦労にもまれて来た顔である。それは仕方の無い事だ。誰だって、いつまでも上品な坊ちゃんではおられない。頭髪は、以前より少
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