ずであると思った。「表現がまずいんだよ。どうしていいかわからなくなって、天下国家を論じて君を叱ってみたり、また十一時まで朝寝坊してみたり、さまざま工夫しているのだろうが、どうも、あれは昔から、感覚がいいくせに、表現のまずい男だった。いたわってやれよ。君ひとりをたのみにしているんだ。君は、やいているんだろう。」
ぎゃふんと参った。
私は帰途、新宿の酒の店、二、三軒に立寄り、夜おそく帰宅した。大隅君は、もう寝ていた。
「小坂さんとこへ行って来たか。」
「行って来た。」
「いい家庭だろう?」
「いい家庭だ。」
「ありがたく思え。」
「思う。」
「あんまり威張るな。あすは瀬川先生のとこへ御挨拶に行け。仰げば尊しわが師の恩、という歌を忘れるな。」
四月二十九日に、目黒の支那料理屋で大隅君の結婚式が行われた。その料理屋に於いて、この佳《よ》き日一日に挙行せられた結婚式は、三百組を越えたという。大隅君には、礼服が無かった。けれども、かれは豪放磊落《ごうほうらいらく》を装い、かまわんかまわんと言って背広服で料理屋に乗込んだものの、玄関でも、また廊下でも、逢うひと逢うひと、ことごとく礼服である。さすがに大隅君も心細くなった様子で、おい、この家でモオニングか何か貸してくれないものかね、と怒ったような口調で私に言った。そんなら、もっと早くから言えば何か方法もあったのに、いまさら、そんな事を言い出しても無理だとは思ったが、とにかく私は控室から料理屋の帳場に電話をかけた。そうして、やはり断られた。貸衣裳《かしいしょう》の用意も無い事はないのだが、それも一週間ほど前から申込んでいただかないと困るのです、という返事であった。大隅君は、いよいよふくれた。いかにも、「おまえがわるいんだ。」と言わぬばかりの非難の目つきで私を睨《にら》むのである。結婚式は午後五時の予定である。もう三十分しか余裕が無い。私は万策尽きた気持で、襖《ふすま》をへだてた小坂家の控室に顔を出した。
「ちょっと手違いがありまして、大隅君のモオニングが間に合わなくなりまして。」私は、少し嘘《うそ》を言った。
「はあ、」小坂吉之助氏は平気である。「よろしゅうございます。こちらで、なんとか致しましょう。おい、」と二番目の姉さんを小声で呼んで、「お前のところに、モオニングがあったろう。電話をかけて直ぐ持って来させるように。」
「い
前へ
次へ
全17ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング