った。
「君が、ひとりで行ったらいいだろう。僕には他に用事もあるんだ。」私は、いかにも用事ありげに、そそくさと外出した。
 けれども、行くところは無い。ふと思いついた。一つ牛込の瀬川さんを訪れて、私の愚痴を聞いてもらおうかと思った。
 さいわい先生は御在宅であった。私は大隅君の上京を報告して、
「どうも、あいつは、いけません。結婚に感激を持っていません。てんで問題にしていないんです。ただもう、やたらに天下国家ばかり論じて、そうして私を叱るのです。」
「そんな事はあるまい。」先生は落ちついている。「てれているんだろう。大隅君は、うれしい時に限って、不機嫌な顔をする男なんだ。悪い癖だが、無くて七癖というから、まあ大目に見てやるんだね。」まことに師の恩は山よりも高い。「時にどうだ、頭のほうは。」そればかりを気にして居られる。
「大丈夫です。現状維持というところです。」
「それは、大慶のいたりだ。」しんから、ほっとなされた御様子であった。「それではもう、何も恐れる事は無い。私も大威張りで媒妁できる。何せ相手のお嬢さんは、ひどく若くて綺麗《きれい》だそうだから、実は心配していたのだ。」
「まったく。」と私は意気込んで、「あいつには、もったいないくらいのお嫁さんです。だいいち家庭が立派だ。相当の実業家らしいのですが、財産やら地位やらを一言も広告しないばかりか、名誉の家だって事さえ素振りにあらわさず、つつましく涼しく笑って暮しているのですからね。あんな家庭は、めったにあるもんじゃない。」
「名誉の家?」
 私は名誉の家の所以《ゆえん》を語り、重ねてまた大隅君の無感動の態度を非難した。
「きょうはじめてお嫁さんと逢うんだというのに、十一時頃まで悠々《ゆうゆう》と朝寝坊しているんですからね。ぶん殴《なぐ》ってやりたいくらいだ。」
「喧嘩をしちゃいかん。どうも、同じクラスの者は大学を出てからも、仲の良いくせにつまらないところで張合って喧嘩をしたがる傾向がある。大隅君は、てれているんだよ。大隅君だって、小坂さんの御家庭を尊敬しているさ。君以上かも知れない。だから、なおさら、てれているんだよ。大隅君は、もう、いいとしだし、頭髪もそろそろ薄くなっているし、てれくさくって、どうしていいかわからない気持なんだろう。そこを察してやらなければいけない。」まことに、弟子《でし》を知ること師に如《し》か
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