。」
「剣術なども、お幼《ちい》い頃から?」
「いいえ、」上の姉さんは静かに笑って、私にビイルをすすめ、「父にはなんにも出来やしません。おじいさまは槍《やり》の、――」と言いかけて、自慢話になるのを避けるみたいに口ごもった。
「槍。」私は緊張した。私は人の富や名声に対しては嘗《か》つて畏敬の念を抱いた事は無いが、どういうわけか武術の達人に対してだけは、非常に緊張するのである。自分が人一倍、非力の懦弱者《だじゃくもの》であるせいかも知れない。私は小坂氏一族に対して、ひそかに尊敬をあらたにしたのである。油断はならぬ。調子に乗って馬鹿な事を言って、無礼者! などと呶鳴《どな》られてもつまらない。なにせ相手は槍の名人の子孫である。私は、めっきり口数を少くした。
「さ、どうぞ。おいしいものは、何もございませんが、どうぞ、お箸《はし》をおつけになって下さい。」小坂氏は、しきりにすすめる。「それ、お酌《しゃく》をせんかい。しっかり、ひとつ召し上って下さい。さ、どうぞ、しっかり。」しっかり飲め、と言うのである。男らしく、しっかりした態度で飲め、という叱咤《しった》の意味にも聞える。会津の国の方言なのかも知れないが、どうも私には気味わるく思われた。私は、しっかり飲んだ。どうも話題が無い。槍の名人の子孫に対して私は極度に用心し、かじかんでしまったのである。
「あのお写真は、」部屋の長押《なげし》に、四十歳くらいの背広を着た紳士の写真がかけられていたのである。「どなたです。」まずい質問だったかな? と内心ひやひやしていた。
「あら、」上の姉さんは、顔をあからめた。「きょうは、はずして置けばよかったのに。こんなおめでたい席に。」
「まあ、いい。」小坂氏は、ふり向いてその写真をちらと見て、「長女の婿《むこ》でございます。」
「おなくなりに?」きっとそうだと思いながらも、そうあらわに質問して、これはいかんと狼狽《ろうばい》した。
「ええ、でも、」上の姉さんは伏目になって、「決してお気になさらないで下さい。」言いかたが少し変であった。「そりゃもう、皆さまが、もったいないほど、――」口ごもった。
「兄さんがいらっしゃったら、きょうは、どんなにお喜びだったでしょうね。」下の姉さんが、上の姉さんの背後から美しい笑顔をのぞかせて言った。「あいにく、私のところも、出張中で。」
「御出張?」私は全くぼんやり
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