は、笑わせやがる。旦那、間が抜けて見えますぜ。」
「すべて、だめだ。」
「口の悪いのは、私の親切さ。突飛な慾は起さぬがようござんす。それでは、ごめんこうむります。」まじめに言って一礼した。
「お送りする。」
先生は、よろよろと立ち上った。私のほうを見て、悲しそうに微笑《ほほえ》んで、
「君、手帖に書いて置いてくれ給え。趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤《しった》せらる。そもそも南方の強か、北方の強か。」
酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずしたのである。腰部にかなりの打撲傷を作った。私はその翌《あく》る日、信州の温泉地に向って旅立ったが、先生はひとり天保館に居残り、傷養生のため三週間ほど湯治《とうじ》をなさった。持参の金子は、ほとんどその湯治代になってしまった模様であった。
以上は、先生の山椒魚事件の顛末《てんまつ》であるが、こんなばかばかしい失敗は、先生に於いてもあまり例の無い事であって、山椒魚の毒気にやられたものと私は単純に解したいのであるが、「趣味の古代論者、多忙の生活人に叱咤せらる。南方の強か、北方の強か。」とかいう先生の謎のような一言を考えると、また奇妙にくすぐったくなって来るのも事実である。ご存じであろうけれども、南方の強、北方の強、という言葉は、中庸第十章にも見えているようであるが、それとこれとの間に於いては別段、深い意味もないように、私には思われる。とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たちへの教訓の材料になさるお方のようでもある。
底本:「太宰治全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1989(昭和64)年1月31日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:しず
2000年5月2日公開
2004年3月4日修正
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