黄村先生言行録
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)山椒魚《さんしょううお》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私にも多少の責|在《あ》りと
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]
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(はじめに、黄村先生が山椒魚《さんしょううお》に凝《こ》って大損をした話をお知らせしましょう。逸事の多い人ですから、これからも時々、こうして御紹介したいと思います。三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌《ぜんぼう》が自然とおわかりになるだろうと思われますから、先生に就いての抽象的な解説は、いまは避けたいと思います。)
黄村先生が、山椒魚なんて変なものに凝りはじめた事に就いては、私にも多少の責|在《あ》りとせざるを得ない。早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞《こうしじま》のハンチングであるが、先生には少しも似合わない。私は見かねて、およしになったらどうですか、と失礼をもかえりみず言った事があるが、その時先生は、私も前からそう思っている、と重く首肯せられたが、いまだにおよしにならない)そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶって私の家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くの井《い》の頭《かしら》公園に一緒に出かけて、私はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないのである。私は、よほど以前からその事を看破していたのであるが、
「先生、梅。」私は、花を指差す。
「ああ、梅。」ろくに見もせず、相槌《あいづち》を打つ。
「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」
「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。私は追いかけて、
「先生、花はおきらいですか。」
「たいへん好きだ。」
けれども、私は看破している。先生には、みじんも風流心が無いのである。公園を散歩しても、ただすたすた歩いて、梅にも柳にも振向かず、そうして時々、「美人だね。」などと、けしからぬ事を私に囁《ささや》く。すれちがう女にだけは、ばかに目が早いのである。私は、にがにがしくてたまらない。
「美人じゃありませんよ。」
「そうかね、二八《にはち》と見えたが。」
呆《あき》れるばかりである。
「疲れたね、休もうか。」
「そうです
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