た顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、
「やあ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました」
 Kとは、私の生れた村の名前である。
「ごらんの通り」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました」
「とんでもない」お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなか出世です」
 私は苦笑した。
「ところで」とお巡りは少し声をひくめ、「お慶がいつもあなたのお噂《うわさ》をしています」
「おけい?」すぐには呑《の》みこめなかった。
「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の女中をしていた――」
 思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。
「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。
「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡り
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