は、とても堪忍《かんにん》できぬのだ。
一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷《ちまた》をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日のいのち繋《つな》ぎ、やや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとたん、病を得た。ひとびとの情で一夏、千葉県船橋町、泥《どろ》の海のすぐ近くに小さい家を借り、自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗とたたかい、それでも仕事はしなければならず、毎朝々々のつめたい一合の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きているよろこびとして感じられ、庭の隅《すみ》の夾竹桃《きょうちくとう》の花が咲いたのを、めらめら火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もほとほと痛み疲れていた。
そのころのこと、戸籍調べの四十に近い、痩《や》せて小柄のお巡《まわ》りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髯《ぶしょうひげ》のばし放題の私の顔とを、つくづく見比べ、おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか? そう言うお巡りのことばには、強い故郷の訛《なまり》があったので、「そうです」私はふてぶてしく答えた。「あなたは?」
お巡りは痩せた顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、
「やあ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました」
Kとは、私の生れた村の名前である。
「ごらんの通り」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました」
「とんでもない」お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなか出世です」
私は苦笑した。
「ところで」とお巡りは少し声をひくめ、「お慶がいつもあなたのお噂《うわさ》をしています」
「おけい?」すぐには呑《の》みこめなかった。
「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の女中をしていた――」
思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。
「幸福ですか?」ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。
「ええ、もう、どうやら」くったくなく、そうほがらかに答えて、お巡り
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