心からお気の毒に感じた。何か、すっきりしたいい言葉が無いものかなあ、と思案に暮れるのだが、何も無い。私は、やはり、ぼんやり間抜顔《まぬけがお》である。きっと私を、いま少し出世させてやろうと思って、私の様子を見に来てくれたのにちがいないと、その来客の厚志が、よくわかっているだけに、なおさら、自身のぶざまが、やり切れない。お客が帰って、私は机の前に呆然と坐って、暮れかけている武蔵野の畑を眺めた。別段、あらたまった感慨もない。ただ、やり切れなく侘《わ》びしい。
 なんじを訴うる者と共に途《みち》に在《あ》るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴うる者なんじを審判人《さばきびと》にわたし、審判人は下役《したやく》にわたし、遂になんじは獄《ひとや》に入れられん。誠に、なんじに告ぐ、一厘《いちりん》も残りなく償わずば、其処《そこ》を出づること能《あた》わじ。(マタイ五の二十五、六。)これあ、おれにも、もういちど地獄が来るのかな? と、ふと思う。おそろしく底から、ごうと地鳴《じなり》が聞えるような不安である。私だけであろうか。
「おい、お金をくれ。いくらある?」
「さあ、四、五円はございましょう。」

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