いうものを、思いちがいしているのかも知れない。よいしょ、と小さい声で言ってみて、路のまんなかの水たまりを飛び越す。水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠《よ》りどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。
 私は醜態の男である。なんの指針をも持っていない様子である。私は波の動くがままに、右にゆらり左にゆらり無力に漂う、あの、「群集」の中の一人に過ぎないのではなかろうか。そうして私はいま、なんだか、おそろしい速度の列車に乗せられているようだ。この列車は、どこに行くのか、私は知らない。まだ、教えられていないのだ。汽車は走る。轟々《ごうごう》の音をたてて走る。イマハ山中《ヤマナカ》、イマハ浜《ハマ》、イマハ鉄橋、ワタルゾト思ウ間モナクトンネルノ、闇ヲトオッテ広野《ヒロノ》ハラ、どんどん過ぎて、ああ、過ぎて行く。私は呆然《ぼうぜん》と窓外の飛んで飛び去る風景を迎送している。指で窓ガラスに、人の横顔を落書して、やがて拭き消す。日が暮れて、車室の暗い豆電燈が、ぼっと灯《と
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