でも私はデカダンか。これでも私は、悪徳者か。どうだ。
しかし、私はそれを誰にも言えぬ。考えてみると、それは婦女子の為《な》すべき奉公で、別段誇るべきほどのことでも無かった。私はやっぱり阿呆《あほう》みたいに、時流にうとい様子の、謂《い》わば「遊戯文学」を書いている。私は、「ぶん」を知っている。私は、矮小の市民である。時流に対して、なんの号令も、できないのである。さすがにそれが、ときどき侘《わ》びしくふらと家を出て、石を蹴り蹴り路を歩いて、私は、やはり病気なのであろうか。私は小説というものを間違って考えているのであろうか、と思案にくれて、いや、そうで無いと打ち消してみても、さて、自分に自信をつける特筆大書の想念が浮ばぬ。確乎《かっこ》たる言葉が無いのだ。のどまで出かかっているような気がしながら、なんだか、わからぬ。私は漂泊の民である。波のまにまに流れ動いて、そうしていつも孤独である。よいしょと、水たまりを飛び越して、ほっとする。水たまりには秋の空が写って、雲が流れる。なんだか、悲しく、ほっとする。私は、家に引き返す。
家へ帰ると、雑誌社の人が来て待っていた。このごろ、ときどき雑誌社の人や、新聞社の人が、私の様子を見舞いに来る。私の家は三鷹《みたか》の奥の、ずっと奥の、畑の中に在るのであるが、ほとんど一日がかりで私の陋屋《ろうおく》を捜しまわり、やあ、ずいぶん遠いのですね、と汗を拭きながら訪ねて来る。私は不流行の、無名作家なのだから、その都度たいへん恐縮する。
「病気は、もう、いいのですか?」必ず、まず、そうきかれる。私は馴れているので、
「ええ、ふつうの人より丈夫です。」
「どんな工合だったんですか?」
「五年まえのことです。」と答えて、すましている。きちがいでした、などとは答えたくない。
「噂では、」と向うのほうから、白状する。「ずいぶん、ひどかったように聞いていますが。」
「酒を呑《の》んでいるうちに、なおりました。」
「それは、へんですね。」
「どうしたのでしょうね。」主人も、客と一緒に不思議がっている。「なおっていないのかも知れませんけれど、まあ、なおったことにしているのです。際限がないですものね。」
「酒は、たくさん呑みますか?」
「ふつうの人くらいは呑みます。」
その辺の応答までは、まず上出来の部類なのであるが、あと、だんだんいけなくなる。しどろもどろになるのである。
「どう思います、このごろの他の人の小説を、どう思います。」と問われて、私は、ひどくまごつく。敢然《かんぜん》たる言葉を私は、何も持っていないのだ。
「そうですねえ。あんまり読んでいないのですが、何か、いいのがありますか? 読めば、たいてい感心するのですが、とにかく、皆よく、さっさと書けるものだと、不思議な気さえするのです。皮肉じゃ無いんです。からだが丈夫なのでしょうかね。実に、皆、すらすら書いています。」
「Aさんの、あれ読みましたか。」
「ええ、雑誌をいただいたので読みました。」
「あれは、ひどいじゃないか。」
「そうかなあ。僕には面白かったんですが。もっと、ひどい作品だって、たくさんあるんじゃ無いですか? 何も、あれを殊更《ことさら》に非難するては無いと思うんですが。どんな、ものでしょう。何せ、僕は、よく知らんので。」私の答弁は、狡猾《こうかつ》の心から、こんなに煮え切らないのでは無くて、むしろ、卑屈の心から、こんなに、不明瞭になってしまうのである。皆、私より偉いような気がしているし、とにかく誰でも一生懸命、精一ぱいで生きているのが判っているし、私は何も言えなくなるのだ。
「Bさんを知っていますか?」
「ええ、知っています。」
「こんど、あのひとに小説を書いていただくことになっていますが。」
「ああ、それは、いいですね。Bさんは、とてもいい人です。ぜひ書いてもらいなさい。きっと、いま素晴しいのが書けると思います。Bさんには、以前、僕もお世話になったことがあります。」お金を借りているのだ。
「あなたは、どうです。書けますか?」
「僕は、だめです。まるっきり、だめです。下手くそなんですね。恋愛を物語りながら、つい演説口調になったりなんかして、ひとりで呆れて笑ってしまうことがあります。」
「そんなことは無いだろう。あなたは、これまで、若いジェネレエションのトップを切っていたのでしょう?」
「冗談じゃない。このごろは、まるで、ファウストですよ。あの老博士の書斎での呟《つぶや》きが、よくわかるようになりました。ひどく、ふけちゃったんですね。ナポレオンが三十すぎたらもう、わが余生は、などと言っていたそうですが、あれが判って、可笑《おか》しくて仕様が無い。」
「余生ということを、あなた自身に感じるのですか?」
「僕は、ナポレオンじゃ無いし、そんな、まさか、
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