ていいやうであるが、聞く相手にしては、たちのわるい冗談としか受けとれまい。まして、この男の胸は、扁平胸といつて生れながらに醜くおしつぶされた形なのであるから、傑作は胸のうちにありますといふ彼のそのせいいつぱいの言葉も、いよいよ藝がないことになる。こんなことからしても、彼が一行も書けぬだらうといふ解答のどんなに安易であるかが判るのである。もし書いたとしたなら、といふのである。問題をもつと考へよくするために、彼のどうしても小説を書かねばならぬ具體的な環境を簡單にこしらへあげてみてもよい。たとへばこの男は、しばしば學校を落第し、いまは彼のふるさとのひとたちに、たからもの、といふ蔭口をきかれてゐる身分であつて、ことし一年で學校を卒業しなければ、彼の家のはうでも親戚のものたちへの手前、月々の送金を停止するといふあんばいになつてゐたとする。また假にその男が、ことし一年で卒業できさうもないばかりか、どだい卒業しようとする腹がなかつたとしたなら、どうであらう。問題をさらに考へよくするために、この男がいま獨身でないといふことにしよう。四五年もまへからの妻帶者である。しかも彼のその妻といふのは、とにかく育
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