出しては言はぬ。胸のなかを駈けめぐる言葉。「だまつて居れば名を呼ぶし、近寄つて行けば逃げ去るのだ。」これはメリメのつつましい述懷ではなかつたか。夜、寢床にもぐつてから眠るまで、彼は、まだ書かぬ彼の傑作の妄想にさいなまれる。そのときには、ひくくかう叫ぶ。「放してくれ!」これはこれ、藝術家のコンフイテオール。それでは、ひとりで何もせずにぼんやりしてゐるときには、どうであらう。口をついて出るといふのである、[#ここから横組み]“Nevermore”[#ここで横組み終わり]といふ獨白が。
そのやうな文學の糞から生れたやうな男が、もし小説を書いたとしたなら、いつたいどんなものができるだらう。だいいちに考へられることは、その男は、きつと小説を書けないだらうと言ふことである。一行書いては消し、いや、その一行も書けぬだらう。彼には、いけない癖があつて、筆をとるまへに、もうその小説に謂はばおしまひの磨きまでかけてしまふらしいのである。たいてい彼は、夜、蒲團のなかにもぐつてから、眼をぱちぱちさせたり、にやにや笑つたり、せきをしたり、ぶつぶつわけのわからぬことを呟いたりして、夜明けちかくまでかかつてひとつ
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