た。一時は、あわてて死んだふりなどしてみたが、すべていけないのである。
百姓は、くるしい思いをした。誰にも知られぬ、くるしい思いをした。この懊悩《おうのう》よ、有難う。
私は、自身の若さに気づいた。それに気づいたときには、私はひとりで涙を流して大笑いした。
排除のかわりに親和が、反省のかわりに、自己肯定が、絶望のかわりに、革命が。すべてがぐるりと急転廻した。私は、単純な男である。
浪曼《ろうまん》的完成もしくは、浪曼的秩序という概念は、私たちを救う。いやなもの、きらいなものを、たんねんに整理していちいちこれの排除に努力しているうちに日が暮れてしまった。ギリシャをあこがれてはならない。これはもう、はっきりこの世に二度と来ないものだ。これは、あきらめなければいけない。これは、捨てなければいけない。ああ、古典的完成、古典的秩序、私は君に、死ぬるばかりのくるしい恋着の思いをこめて敬礼する。そうして、言う。さようなら。
むかし、古事記の時代に在っては、作者はすべて、また、作中人物であった。そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、そのまま小説であり、評論であり、詩であった。
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