でも坐っているつもりなのか。」と言って、機嫌が悪い。
 あまり卑下していても、いけないのである。それでは、と膝を崩して、やや顔を上げ、少し笑って見せると、こんどは、横着《おうちゃく》な奴だと言って叱られる。これはならぬと、あわてて膝を固くして、うなだれると、意気地が無いと言って叱られる。どんなにしても、だめであった。私は、私自身を持て余した。兄の怒りは、募《つの》る一方である。
 幽《かす》かに、表の街路のほうから、人のざわめきが聞えて来る。しばらくして、宿の廊下が、急にどたばた騒がしくなり、女中さんたちの囁《ささや》き、低い笑声も聞える。私は、兄の叱咤《しった》の言よりも、そのほうに、そっと耳をすましていた。ふっと一言、聴取出来た。私は、敢然《かんぜん》と顔を挙げ、
「提燈《ちょうちん》行列です。」と兄に報告した。
 兄は一瞬、へんな顔をした。とたんに、群集のバンザイが、部屋の障子《しょうじ》が破れるばかりに強く響いた。
 皇太子殿下、昭和八年十二月二十三日御誕生。その、国を挙げてのよろこびの日に、私ひとりは、先刻から兄に叱られ、私は二重に悲しく、やりきれなくていたのである。兄は、落ちつき払って、卓上電話を取り上げ、帳場に、自動車を言いつけた。私は、しめた、と思った。
 兄は、けれども少しも笑わずに顔をそむけ、立ち上ってドテラを脱ぎ、ひとりで外出の仕度をはじめた。
「街へ出て見よう。」
「はあ。」ずるい弟は、しんから嬉しかった。
 街は、暮れかけていた。兄は、自動車の窓から、街の奉祝の有様を、むさぼるように眺めていた。国旗の洪水である。おさえにおさえて、どっと爆発した歓喜の情が、よくわかるのである。バンザイ以外に、表現が無い。しばらくして兄は、
「よかった!」と一言、小さい声で呟《つぶや》いて、深く肩で息をした。それから、そっと眼鏡《めがね》をはずした。
 私は、危く噴き出しそうになった。大正十四年、私が中学校三年の時、照宮さまがお生まれになった。そのころは、私も学校の成績が悪くなかったので、この兄の一ばんのお気に入りであった。父に早く死なれたので、兄と私の関係は、父子のようなものであった。私は冬季休暇で、生家に帰り、嫂《あによめ》と、つい先日の御誕生のことを話し合い、どういうものだか涙が出て困ったという述懐《じゅっかい》に於て一致した。あの時、私は床屋にいて散髪
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