その声に耳をすまして考えてみると、どうも、これは聞き覚えのある声でございます。あいつでは無いかな? と思っていたら、果して、その講話のおわりにアナウンサアが、その、あいつの名前を、閣下という尊称を附して報告いたしました。老博士は、耳を洗いすすぎたい気持になりました。その、あいつというのは、博士と高等学校、大学、ともにともに、机を並べて勉強して来た男なのですが、何かにつけて要領よく、いまは文部省の、立派な地位にいて、ときどき博士も、その、あいつと、同窓会などで顔を合せることがございまして、そのたびごとに、あいつは、博士を無用に嘲弄《ちょうろう》するのでございます。気のきかない、げびた、ちっともなっていない陳腐な駄洒落《だじゃれ》を連発して、取り巻きのものもまた、可笑しくもないのに、手を拍《う》たんばかりに、そのあいつの一言一言に笑い興じて、いちどは博士も、席を蹴《け》って憤然と立ちあがりましたが、そのとき、卓上から床にころげ落ちて在った一箇の蜜柑《みかん》をぐしゃと踏みつぶして、おどろきの余り、ひッという貧乏くさい悲鳴を挙げたので、満座抱腹絶倒して、博士のせっかくの正義の怒りも、悲しい結
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