ところの選手である。切に自重を望む、と言いましたがね。おれはあの時、涙が出たね。男子、義を見てせざれば勇なきなり、というわけのものだ。勇に大勇あり小勇あり、ともいうべきわけのところだ。だから、人間、智仁勇、この三つが大事というわけになるんだ。女にもてるなんて、問題になるわけのものじゃ決してないんだ。」ほとんど支離滅裂である。それでも、かっぽれは顔を青くしてさらに声を張り上げ、「だから、それだから、衛生が大事だというわけの事に自然になって行くんだ。常に衛生、火の用心というのは、だから、そこのところを言ってると思うんだ。いやしくも一個の人間を豚のしっぽと較《くら》べられるわけのものじゃ絶対に無いんだ。」
「やめろ、やめろ。」と越後獅子《えちごじし》が仲裁にはいった。越後獅子は、それまでベッドの上に黙って寝ころんでいたのだが、その時むっくり起きてベッドから降り、かっぽれのうしろから肩を叩いて、やめろやめろ、とちょっと威厳のある口調で言ったのである。
 かっぽれは、くるりと越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子の懐《ふところ》に顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。廊下には、他《ほか》の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴《どな》った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」と唸《うな》って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復《かいふく》して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。
 芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券《こけん》にかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
 かっぽれは、それこそ親獅子のふところにかき抱かれている児獅子《こじし》というような形で、顔を振り振り泣きじゃくり、はっきり聞きとれぬような、ろれつの廻《まわ》らぬ口調で、くどくどと訴えはじめた。

     3

「おれは、生れてから、こんな赤恥をかいた事はねえのだ。育ちが、悪くねえのです。おれは、おやじにだって殴られた事はねえのだ。それなのに、豚のしっぽ同然にあしらわれて、はらわたが煮えくりかえって、おれは、すじみちの立った挨拶《あいさつ》を仕様と思って、一ばんいい事ばかり言ったのです。一ばんいいところばかり選んで言おうと思ったんだ。本当に、おれは、一ばんのいい事だけを言ってやったつもりなんだ。それなのに、それを、ベッドに寝ころがって知らん振りして、なんだ、あの態度は! くやしくて、残念でならねえのです。なんだ、あの態度は! ひとが一ばんいい事を言っているのに、あの態度は! つくづく世間が、イヤになった。ひとが一ばんいい事を、――」
 だんだん同じ様な事ばかり繰り返して言うようになった。
 越後は、かっぽれをそっとベッドに寝かせてやった。かっぽれは、固パンのほうに背を向けて寝て、顔を両手で覆《おお》って、しばらくしゃくり上げていたが、やがて眠ったみたいに静かになった。八時の屈伸鍛錬の時間になっても、その形のままで、じっとしていた。
 実に妙な喧嘩であった。けれども、昼食の頃にはもう、もとの通りのかっぽれさんにかえっていて、固パンが、れいのらっきょうの空瓶を綺麗に洗って来て、どうぞ、と言って真面目《まじめ》に差出した時にも、すみません、とぴょこんとお辞儀をして素直に受け取り、そうして昼食がすんでから、梅干を一つずつ瀬戸の小鉢から、らっきょうの瓶に、たのしそうに移していた。世の中の人が皆、かっぽれさんのようにあっさりしていたら、この世の中も、もっと住みよくなるに違いないと思われた。
 喧嘩の事に就いては、これくらいにして、ついでにもう一つ簡単な御報告がある。
 きょうの午後の摩擦は、竹さんだった。僕は、竹さんに君のことを少し言った。
「竹さんを、とても好きだと言っている人があるんだけど。」
 竹さんは、摩擦の時には、ほとんど口をきかない。いつも黙って涼しく微笑《ほほえ》んでいる。
「マア坊なんかより、竹さんのほうが十倍もいいと言ってた。」
「誰《だれ》や。」沈黙女史も、つい小声で言った。マア坊よりもいい、というほめ方が、いたく気にいった様子である。女って、あさはかなものだ。
「うれしいかい?」
「好かん。」竹さんはそう一こと言ったきりで、シャッシャッと少し手荒く摩擦をつづける。眉《まゆ》をひそめて、不機嫌《ふきげん》そうな顔だ。
「怒ったの? そのひとは、本当にいいやつなんだがね。詩人だよ。」
「いやらしい。ひばりは、このごろ、あかんな。」左の手の甲で自分の額の汗をぬぐって言った。
「そうかね、それじゃもう教えない。」
 竹さんは黙っていた。黙って摩擦をつづけた。摩擦がすんで引きあげる時に、竹さんはおくれ毛を掻《か》き上げて、妙に笑い、
「ヴェリイ、ソオリイ。」と言った。
 ごめんなさいね、って言ったつもりなんだろう。ちょっと竹さんも、わるくないね。どうだい、君、そのうちにひまを見て、当道場へやって来ないか。君の大好きな竹さんを見せてあげますよ。冗談、失礼。朝夕すずしくなりました。常に衛生、火の用心とはここのところだ。僕と二人ぶんの御勉強おねがい申し上げます。
  九月二十二日

   コスモス


     1

 さっそくの御返事、たのしく拝読いたしました。高等学校へはいると、勉強もいそがしいだろうに、こんなに長い御手紙を書くのは、たいへんでしょう。これからは、いちいちこんな長い御返事の必要はありません。勉強のさまたげになるのではないかと、それが気になります。
 竹さんに、あんな事を言うとはけしからぬとのお叱《しか》り。おそれいりました。けれども、「もう僕は君をお見舞いに行けなくなった」というお言葉には賛成いたしかねます。君も、ずいぶん気が小さい。こだわらずに、竹さんに軽く挨拶《あいさつ》出来るようでなければ、新しい男とは言えません。色気を捨てる事ですね。詩三百、思い邪《よこしま》無し、とかいう言葉があったじゃありませんか。天真|爛漫《らんまん》を心掛けましょう。こないだお隣りの越後獅子《えちごじし》に、
「僕の友だちで、詩の勉強をしている男があるんですが、」と言いかけたら、越後は即座に、
「詩人は、きざだ。」と乱暴極まる断定を下したので、僕は少しむっとして、
「でも、詩人は言葉を新しくすると昔から言われているじゃありませんか。」と言い返した。越後獅子は、にやりと笑って、
「そう。こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と無雑作に答えたが、越後も、ちょっと、あなどりがたい事を言うと思った。賢明な君の事だから、すでにお気づきの事と思いますが、どうか、これからは、詩の修行はもとより、何につけても、君の新しい男としての真の面目を見せて下さるよう、お願いします。なんて、妙に思いあがった、先輩ぶった言い方をしましたが、なに、竹さんなんかの事は気にするな、というだけの事なんだ。勇気を出して、当道場を訪問して、竹さんをひとめ見るといい。現物を見ると、君の幻想は、たちまち雲散霧消する。何せもうただ立派で、そうして大鯛《おおだい》なんだからね。それにしても君は、ずいぶん竹さんに打ち込んだものだね。僕があれほど、マア坊の可愛《かわい》らしさを強調して書いてやっても、「マア坊とやらいう女性などは、出来そこないの映画女優の如《ごと》く」なんておっしゃって、一向にみとめてはくれず、ひたすら竹さん竹さんなんだから恐れいりました。しばらく竹さんに就いての御報告はひかえようと思う。この上、君に熱をあげられて、寝込まれでもしたら大変だ。
 きょうは一つ、かっぽれさんの俳句でも御紹介しましょうか。こんどの日曜の慰安放送は、塾生たちの文芸作品の発表会という事になって、和歌、俳句、詩に自信のある人は、あすの晩までに事務所に作品を提出せよとの事で、かっぽれは、僕たちの「桜の間」の選手として、お得意の俳句を提出する事になり、二、三日前から鉛筆を耳にはさみ、ベッドの上に正坐《せいざ》して首をひねり、真剣に句を案じていたが、けさ、やっとまとまったそうで、十句ばかり便箋《びんせん》に書きつらねたのを、同室の僕たちに披露《ひろう》した。まず、固パンに見せたけれども、固パンは苦笑して、
「僕には、わかりません。」と言って、すぐにその紙片を返却した。次に、越後獅子に見せて御批評を乞《こ》うた。越後獅子は背中を丸めて、その紙片をねらうようにつくづくと見つめ、
「けしからぬ。」と言った。
 下手だとか何とか言うなら、まだしも、けしからぬという批評はひどいと思った。

     2

 かっぽれは、蒼《あお》ざめて、
「だめでしょうか。」とお伺いした。
「そちらの先生に聞きなさい。」と言って越後は、ぐいと僕の方を顎《あご》でしゃくった。
 かっぽれは、僕のところに便箋を持って来た。僕は不風流だから、俳句の妙味などてんでわからない。やっぱり固パンのように、すぐに返却しておゆるしを乞うべきところでもあったのだが、どうも、かっぽれが気の毒で、何とかなぐさめてやりたく、わかりもしない癖に、とにかくその十ばかりの句を拝読した。そんなにまずいものではないように僕には思われた。月並とでもいうのか、ありふれたような句であるが、これでも、自分で作るとなると、なかなか骨の折れるものなのではあるまいか。
 乱れ咲く乙女心の野菊かな、なんてのは少しへんだが、それでも、けしからぬと怒るほどの下手さではないと思った。けれども、最後の一句に突き当って、はっとした。越後獅子が憤慨したわけも、よくわかった。
  露の世は露の世ながらさりながら
 誰やらの句だ。これは、いけないと思った。けれども、それをあからさまに言って、かっぽれに赤恥をかかせるような事もしたくなかった。
「どれもみな、うまいと思いますけど、この、最後の一句は他《ほか》のと取りかえたら、もっとよくなるんじゃないかな。素人《しろうと》考えですけど。」
「そうですかね。」かっぽれは不服らしく、口をとがらせた。「その句が一ばんいいと私は思っているんですがね。」
 そりゃ、いい筈《はず》だ。俳句の門外漢の僕でさえ知っているほど有名な句なんだもの。
「いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
 僕は、ちょっと途方に暮れた。
「わかりますかね。」かっぽれは図に乗って来た。「いまの日本国に対する私のまごころも、この句には織り込まれてあると思うんだが、わからねえかな。」と、少し僕を軽蔑《けいべつ》するような口調で言う。
「どんな、まごころなんです。」と僕も、もはや笑わずに反問した。
「わからねえかな。」と、かっぽれは、君もずいぶんトンマな男だねえ、と言わんばかりに、眉《まゆ》をひそめ、「日本のいまの運命をどう考えます。露の世でしょう? その露の世は露の世である。さりながら、諸君、光明を求めて進もうじゃないか。いたずらに悲観する勿《なか》れ、といったような意味になって来るじゃないか。これがすなわち私の日本に対するまごころというわけのものなんだ。わかりますかね。」
 しかし、僕は内心あっけにとられた。この句は、君、一茶《いっさ》が子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。きれいに意味をひっくりかえしている。これが越後の所謂《いわゆる》「こんにちの新しい発明」かも知れないが、あまりにひどい。かっぽれのまごころには賛成だが、とにかく古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶのは悪い事だし、そ
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