有様だ。けれども花宵先生は、急に威張り返るとか何とか、そんな浅墓《あさはか》な素振りは微塵《みじん》も示さず、やっぱり寡言家《かげんか》の越後獅子であって、塾生たちの詩歌の添削は、たいていかっぽれに一任しているのだ。かっぽれ、このところ大得意だ。花宵先生の一番弟子のつもりで、もっともらしい顔をして、よそのひとの苦心の作品を勝手にどんどん直している。きょうは事務所からの依頼で花宵先生がはじめて講話をする事になって、「献身」と題するお話であるが、こうして拡声機を通して流れ出る声を聞いていると、非常に貴い人から教え訓《さと》されているようなき厳粛な気持になって来る。実に落ちついた、威厳のある声である。花宵先生は、僕が考えているよりも、もっとはるかに偉い人なのかも知れない。お話の内容も、さすがにいい。すこしも古くないのである。
献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧《ささ》げたてまつるべきである。鍬《くわ》とる者は、鍬とった野良姿《のらすがた》のままで、献身すべきだ。自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予《ゆうよ》がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。いかにして見事に献身すべきやなどと、工夫をこらすのは、最も無意味な事である、と力強く、諄々《じゅんじゅん》と説いている。聞きながら僕は、何度も赤面した。僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓《つる》に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽《ひ》が当るようです。」
さようなら。
十二月九日
底本:「パンドラの匣」新潮文庫、新潮社
1973(昭和48)年10月30日発行
1997(平成9)年12月20日46刷
初出:「河北新報」河北新報社
1945(昭和20)年10月22日〜1946(昭和21)年1月7日
入力:SAME SIDE
校正:細渕紀子
2003年1月27日作成
2006年5月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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