いる。
「お江戸日本橋なら、おれだって知ってらあ。」とかっぽれは不平そうに小声で言って、食事にとりかかった。
「どなたも、ごゆっくり。」とマア坊は笑いながら一同の者に会釈《えしゃく》して、部屋を出て行った。何がなんだか、わけがわからない。マア坊にいい加減になぶられているような気がして、あまり愉快でなかった。そうして僕の手には一通の手紙が残された。僕は他人の手紙など見たくない。しかし、マア坊の小さい誇りをいたわるために、一覧しなければならぬ。やっかいな事になったと思いながら、食後にこっそり読んでみたが、いや、これが君、実に偉大な書翰であったのだ。恋文というものであろうか、何やら、まるで見当がつかない。あんな常識円満のおとなしそうな西脇《にしわき》つくし殿も、かげでこんな馬鹿げた手紙を書くとは、まことに案外なものである。おとなというのは、みんなこのような愚かな甘い一面を隠し持っているものであろうか。とにかく、ちょっとその書翰の文面を書き写してお目にかけましょうか。洗面所では終りの一枚のほんの一端だけを読まされたのだが、こんどは始めからの三枚の便箋全部を手渡しされたのである。以下はその偉大な
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