て来てくれないか。部屋に置き忘れて来たらしいんだ。ベッドの上に無ければ、ベッドの枕元《まくらもと》の引出しの中にある。」
「意地わる!」マア坊は僕の手から便箋をひったくって、小走りに部屋のほうへ走って行った。

     2

 竹さんの口癖は、「いやらしい」だし、マア坊のは「意地わる」である。以前は、言われる度に、ひやりとしたものだが、いまでは馴《な》れっこになって、まるで平気だ。さて、それでは、マア坊のいない間に、さっきの歌の「如何に好去《さき》くや」というところを、なんと解釈してやったらいいか、考えて置かなければならぬ。あそこが、ちょっとむずかしかったので、手拭いにかこつけて、即答を避けたというわけでもあったのだ。僕は「如何にさきくや」の解釈の仕方を考え考え、頭の石鹸を洗い落していたら、マア坊は、手拭いを持って来て、そうしてこんどは真面目《まじめ》な顔で、何も言わずに、手渡すとすぐにすたすたと向うへ行ってしまった。
 はっと思った。僕が悪いとすぐに思った。どうも僕はこのごろ、すれたというのか痲痺《まひ》[#「痲痺」は底本では「痳痺」]したというのか、いつのまにやらこの道場の生活に
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