、と声を一つずつ区切って泣出した。廊下には、他《ほか》の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴《どな》った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」と唸《うな》って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復《かいふく》して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。
芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券《こけん》にかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
かっぽれは、それこそ親獅子のふところにかき抱かれている児獅子《こじし》というような形で、顔を振り振り泣きじゃくり、はっきり聞きとれぬような、ろれつの廻《まわ》らぬ口調で、くどくどと訴えはじめた。
前へ
次へ
全183ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング