お膳をさげに来た時、僕は軽い口調で言ってやった。
「ごはんを残したよ。」
 竹さんは、僕のほうをちっとも見ないで、おひつの蓋《ふた》をちょっとあけてみて、
「いやらしい子!」と、ほとんど僕にも聞きとれなかったくらいの低い声で言ってお膳を持ち上げ、そうしてまた、何事も無かったような澄ました顔で部屋から出て行った。
 竹さんの「いやらしい」は口癖のようになっていて、何の意味も無いものらしいが、しかし、僕は女から「いやらしい」と言われると、いい気はしない。実に、いやだ。以前の僕だったら、たしかに竹さんを一発ぴしゃんと殴ったであろう。どうして僕はいやらしいのだ。いやらしいのは、お前じゃないか。昔は女中が、贔屓の丁稚《でっち》の茶碗《ちゃわん》にごはんをこっそり押し込んでよそってやったものだそうだが、なんとも無智《むち》な、いやらしい愛情だ。あんまり、みじめだ。ばかにしちゃいけない。僕には、あたらしい男としての誇りがあるんだ。ごはんというものは、たとい量が不足でも、明るい気持でよく噛んで食べさえすれば、充分の栄養がとれるものなのだ。竹さんを、もっとしっかりしたひとだと思っていたが、やっぱり、女は
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