にしよう。
まずは当道場の概説くだんの如しというところだ。失敬。
九月三日
鈴虫
1
拝啓|仕《つかまつ》り候《そうろう》。九月になると、やっぱり違うね。風が、湖面を渡って来たみたいに、ひやりとする。虫の音も、めっきり、かん高くなって来たじゃないか。僕《ぼく》は君のように詩人ではないのだから、秋になったからとて、別段、断腸の思いも無いが、きのうの夕方、ひとりの若い助手さんが、窓の下の池のほとりに立って、僕のほうを見て笑って、
「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって。」
そんな言葉を聞くと、この人たちには秋がきびしく沁《し》みているのだという事がわかって、ちょっと息がつまった。この助手さんは、僕と同室の西脇《にしわき》つくし殿に、前から好意を寄せているらしいのだ。
「つくしは、いないよ。ついさっき、事務所へ行った。」と答えてやったら、急に不機嫌《ふきげん》になり、言葉まで頗《すこぶ》るぞんざいに、
「あらそう。いなくたっていいじゃないの。ひばりは鈴虫がきらいなの?」と妙な逆襲の仕方をして来たので、僕はわけがわからず、実にまごついた。
この若い助手
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