小梅橋のバスの停留場が近くなった頃《ころ》、僕は実に意外な事を聞いた。お母さんと、マア坊が、歩きながらよもやまの話の末に、
「場長さんが近く御結婚なさるとか、聞きましたけど?」
「はあ、あの、竹中さんと、もうすぐ。」
「竹中さんと? あの、助手さんの。」と、お母さんも驚いていたようであったが、僕はその百倍も驚いた。十万馬力の原子トラックに突き倒されたほどの衝動を受けた。
お母さんのほうはすぐ落ちついて、
「竹中さんは、いいお方ですものねえ。場長さんはさすがに、眼《め》がお高くていらっしゃる。」と言って、明るく笑い、それ以上突っ込んだ事も聞かず、おだやかに他《ほか》の話に移って行った。
僕は停留場で、どんな具合いにお母さんとお別れしたか、はっきり思い出せない。ただ眼のさきが、もやもやして、心臓がコトコトと響を立てて躍っているみたいな按配《あんばい》で、あれは、まったく、かなわない気持のものだ。
僕は白状する。僕は、竹さんを好きなのだ。はじめから、好きだったのだ。マア坊なんて、問題じゃなかったのだ。僕は、なんとかして竹さんを忘れようと思って、ことさらにマア坊のほうに近寄って行って、マ
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