。」と、低く口早に言って、僕の前を通り、部屋から出て行った。
 僕の口は思わずとがった。なあんだ。大きいなりをして、だらしがねえ。なぜだか、その時、そんな気がして、すこぶる気にいらなかった。組長じゃないか。人を叱って気がもめる、もないもんだ。僕は、にがにがしく思った。竹さんも、もっと、しっかりしなければいかんと思った。けれども、三杯目のごはんをよそって、こんどは僕のほうで顔を赤くしてしまった。おひつのごはんが、ばかに多いのだ。いつもは、軽く三杯よそうと、ちょうど無くなる筈なのに、きょうは三杯よそっても、まだたっぷり一杯ぶん、その小さいおひつの底に残ってあるのだ。ちょっと閉口だった。僕は、このような種類の親切は好かない。親切の形式が、またおいしいとも感じない。おいしくないごはんは、血にも肉にもなりはしない。なんにもならん。むだな事だ。越後獅子の口真似《くちまね》をして言うならば、「竹さんの母親は、おそろしく旧式のひとに違いない。」
 僕はいつものように軽く三杯たべただけで、あとの贔屓《ひいき》の一杯ぶんは、そのままおひつに残した。しばらくして竹さんが、何事も無かったような澄ました顔をしてお膳をさげに来た時、僕は軽い口調で言ってやった。
「ごはんを残したよ。」
 竹さんは、僕のほうをちっとも見ないで、おひつの蓋《ふた》をちょっとあけてみて、
「いやらしい子!」と、ほとんど僕にも聞きとれなかったくらいの低い声で言ってお膳を持ち上げ、そうしてまた、何事も無かったような澄ました顔で部屋から出て行った。
 竹さんの「いやらしい」は口癖のようになっていて、何の意味も無いものらしいが、しかし、僕は女から「いやらしい」と言われると、いい気はしない。実に、いやだ。以前の僕だったら、たしかに竹さんを一発ぴしゃんと殴ったであろう。どうして僕はいやらしいのだ。いやらしいのは、お前じゃないか。昔は女中が、贔屓の丁稚《でっち》の茶碗《ちゃわん》にごはんをこっそり押し込んでよそってやったものだそうだが、なんとも無智《むち》な、いやらしい愛情だ。あんまり、みじめだ。ばかにしちゃいけない。僕には、あたらしい男としての誇りがあるんだ。ごはんというものは、たとい量が不足でも、明るい気持でよく噛んで食べさえすれば、充分の栄養がとれるものなのだ。竹さんを、もっとしっかりしたひとだと思っていたが、やっぱり、女はだめだ。ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる。残念な事だ。竹さんは、もっとしっかりしなければいけない。これがマア坊だったら、どんな失敗を演じても、かえって可愛く、いじらしさが増すというような事もないわけではないのだろうが、どうも、立派な女の、へまは、困る。と、ここまでお昼ごはんの後の休憩を利用して書いたのだが、突然、廊下の拡声機が、新館の全塾生はただちに新館バルコニイに集合せよ、という命令を伝えた。

     4

 便箋《びんせん》を片附《かたづ》けて二階のバルコニイに行ってみると、きのうの深夜、旧館の鳴沢イト子とかいう若い女の塾生が死んで、ただいま沈黙の退場をするのを、みんなで見送るのだという事であった。新館の男の塾生二十三名、そのほか新館別館の女の塾生六名、緊張した顔でバルコニイに、四列横隊みたいな形で並び、出棺を待った。しばらくして、白い布に包まれた鳴沢さんの寝棺が、秋の陽《ひ》を浴びて美しく光り、近親の人たちに守られながら、旧館を出て松林の中の細い坂路《さかみち》を、アスファルトの県道の方へ、ゆるゆると降りて行った。鳴沢さんのお母さんらしい人が、歩きながらハンケチを眼にあて、泣いているのが見えた。白衣の指導員や助手の一団も、途中まで、首をたれて、ついて行った。
 よいものだと思った。人間は死に依《よ》って完成せられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧《かんぺき》だが、死んだとたんに、ただの死骸《しがい》だ。完成も未完成もない、ただの無に帰する。人間はそれに較《くら》べると、まるで逆である。人間は、死んでから一ばん人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。鳴沢さんは病気と戦って死んで、そうして美しい潔白の布に包まれ、松の並木に見え隠れしながら坂路を降りて行く今、ご自身の若い魂を、最も厳粛に、最も明確に、最も雄弁に主張して居《お》られる。僕たちはもう決して、鳴沢さんを忘れる事が出来ない。僕は光る白布に向って素直に合掌した。
 けれども、君、思い違いしてはいけない。僕は死をよいものだと思った、とは言っても、決してひとの命を安く見ていい加減に取扱っているのでも無いし、また、あのセンチメンタルで無気力な、「死の讃美者《さんびしゃ》」とやらで
前へ 次へ
全46ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング