た。きょうの放送は誰の発案かね、とおっしゃるさかいな、ひばりの発明や、とうちが申し上げたら、愉快な子ですなあ、ってな、あの笑わない場長さんが、にやにやっと笑い居った。」竹さんも、きょうの口紅事件では、さすがに少し興奮したのか、いつになくおしゃべりだ。
「僕の発明じゃあないよ。」軍功の帰趨《きすう》は分明にして置かなければならぬ。
「同じ事や。ひばりが言わなかったら、うちだって、動きとうはない。すき好んで憎まれ役を買うひとなんてあるかいな。」
「憎まれたのかね。」
「ううん。」れいの特徴のある涼しい笑顔で首を振り、「憎まれやしないけどな、うちは、つらかった。」
「孔雀の挨拶《あいさつ》は、ちょっと僕も、つらかったよ。」
「うん。牧田さんな、あのひと自分から挨拶させてと申し込んで来たのや。悪気の無い、いいひとや。お化粧が下手らしいな。うちだって、少しは口紅さしてんのやけど、わからんやろ?」
「なあんだ、同罪か。」
「わからんくらいなら、いいのや。」と平気な顔して、シャッシャッと摩擦をつづける。
女だなあ、と思った。そうして僕は、この道場へ来てはじめて、竹さんを、可愛《かわい》らしいと思った。大鯛《おおだい》だって、ばかには出来ない。
どうだい、君。僕は、あらためて君に、当道場の訪問をすすめる。ここには、尊敬するに足る女性がひとりいる。これは、僕のものでもなければ、君のものでもない。これは、日本のいま世界に誇り得る唯一《ゆいいつ》の宝だ。なんていうと少し大袈裟《おおげさ》なほめ方になってしまって、われながら閉口だが、とにかく、色気無しに親愛の情を抱かせる若い女は少いものではあるまいか。君も、もう竹さんに対しては、色気なんてそんなものは持っていない筈である。親愛の気持だけだろうと思う。ここに、僕たち新しい男の勝利がある。男女の間の、信頼と親愛だけの交友は、僕たちにでなければわからない。所謂《いわゆる》あたらしい男だけが味《あじわ》い得るところの天与の美果である。この清潔の醍醐味《だいごみ》が欲しかったら、若き詩人よ、すべからく当道場を御訪問あれ。
もっとも君は、既に、君の周囲に於いて、さらにすぐれた清潔の美果を味っているかも知れないが。
十月二十日
花宵《かしょう》先生
1
昨日の御訪問、なんとも嬉《うれ》しく存じました。その折には、また僕には花束。竹さんとマア坊には赤い小さな英語の辞典一冊ずつのお土産。いかにも詩人らしい、親切な思いつきで、殊《こと》にも、竹さんとマア坊にお土産を持って来てくれたのは有難《ありがた》かった。
あの人たちから僕は、シガレットケースと、それから竹細工の藤娘《ふじむすめ》をもらって、少し閉口だったけれども、でも、そのうちに何かお返しをしなければならぬのではあるまいかと、内心、ちょっと気になっていたところへ、君が気をきかせてお土産を持って来てくれたので、ほっとしました。君には、僕よりもっと新しい一面があるようだ。僕はどうも、女のひとからものをもらったり、また、ものを贈ったりするのに、いささか、こだわりを感ずる。いやらしいと思うのだ。ここが、少し僕の古いところかも知れないね。君のように、てれずに、あっさり贈答できるように修行しよう。僕は君からまた一つものを教えられたような気がした。君の爽《さわ》やかな美徳を見たと思いました。
マア坊が「お客様ですよ」と言って、君を部屋へ案内して来た時には、僕の胸が、内出血するほど、どきんとした。わかってくれるだろうか。久しぶりに君の顔を見た喜びも大きかったが、それよりも、君とマア坊が、まるで旧知の間柄《あいだがら》のように、にこにこ笑って並んで歩いて来たのを見て、仰天したのだ。お伽噺《とぎばなし》のような気がした。これと似たような気持を、僕は去年の春にも、一度味わった。
去年の春、中学校を卒業と同時に肺炎を起し、高熱のためにうつらうつらして、ふと病床の枕元《まくらもと》を見ると、中学校の主任の木村先生とお母さんが笑いながら何か話合っている。あの時にも、僕は胆《きも》をつぶした。学校と家庭と、まるっきり違った遠い世界にわかれて住んでいるお二人が、僕の枕元で、お互い旧知の間柄みたいに話合っているのが実に不思議で、十和田湖《とわだこ》で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感で胸が躍った。
「すっかり元気そうになったじゃないか。」と君が言って、僕に花束を手渡して、僕がまごついていたら君は、マア坊に極めて自然の態度で、
「粗末な花瓶《かびん》で結構ですから、ひばりに貸してやって下さい。」と頼んで、マア坊は首肯《うなず》いて花瓶を取りに行って、僕は、まあ、本当に夢のようだったよ。何がなんだか、わからなくなって、
「マア坊を前から
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