乱れ咲く乙女心の、という句。」
果して然《しか》りだ。しかし、かっぽれは、一向に平気で、
「うん。あれは、もう、いれてあるんだ。」
「そう。しっかりやってね。」
僕は微笑した。
これこそは僕にとって、所謂《いわゆる》「こんにちの新しい発明」であった。この人たちには、作者の名なんて、どうでもいいんだ。みんなで力を合せて作ったもののような気がしているのだ。そうして、みんなで一日を楽しみ合う事が出来たら、それでいいのだ。芸術と、民衆との関係は、元来そんなものだったのではなかろうか。ベートーヴェンに限るの、リストは二流だのと、所謂その道の「通人」たちが口角|泡《あわ》をとばして議論している間に、民衆たちは、その議論を置き去りにして、さっさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでいるのではあるまいか。あの人たちには、作者なんて、てんで有り難《がた》くないんだ。一茶が作っても、かっぽれが作っても、マア坊が作っても、その句が面白《おもしろ》くなけりゃ、無関心なのだ。社交上のエチケットだとか、または、趣味の向上だなんて事のために無理に芸術の「勉強」をしやしないのだ。自分の心にふれた作品だけを自分流儀で覚えて置くのだ。それだけなんだ。僕は芸術と民衆との関係に就いて、ただいま事新しく教えられたような気がした。
きょうの手紙は、妙に理窟《りくつ》っぽくなったけれども、でも、まあ、こんなかっぽれの小さい挿話《そうわ》でも、君の詩の修行に於《お》いて何か「新しい発明」にでも役立ってくれたら、と思って、この手紙を破らずにこのまま差し上げる事にしました。
僕は、流れる水だ。ことごとくの岸を撫《な》でて流れる。
僕はみんなを愛している。きざかね。
九月二十六日
妹
1
僕がいつも君に、こんな下手な、つまらぬ手紙を書いて、時々ふっと気まりの悪いような思いに襲われ、もうこんな、ばかばかしい手紙なんか書くまいと決意する事も再三あったが、しかし、きょう或《あ》るひとの実に偉大な書翰《しょかん》に接し、上には上があるものだと、つくづく感歎《かんたん》して、世の中には、こんなばかげた手紙を書くおかたもあるのだから、僕の君に送る手紙などは、まだしも罪が軽いほうだ、と少しく安堵《あんど》した次第である。どうも、君、世の中にはさまざまの事がある。あのひとが、あん
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