だが、それ以上は松右衛門殿がゆるさない。二つ歌い終ると、越後獅子は眼をひらいて、もうよかろう、と言う。からだにさわる、と言い添える事もある。歌い手のからだにさわるという意味か、聞き手のからだにさわるという意味か、はっきりしない。でも、この清七殿だって決して悪い人じゃないんだ。俳句が好きなんだそうで、夜、寝る前に松右衛門殿にさまざまの近作を披露《ひろう》して、その感想を求めたけれども、越後は、うんともすんとも答えぬので、清七殿ひどくしょげかえって、さっさと寝てしまったが、あの時は可哀想《かわいそう》だった。清七殿は越後獅子をかなり尊敬しているらしい。この粋《いき》な男の名は、かっぽれ。
 そのお隣りに陣取っている人は、西脇一夫《にしわきかずお》殿。郵便局長だか何だかしていた人だそうだ。三十五歳。僕はこの人が一ばん好きだ。おとなしそうな小柄《こがら》の細君が時々、見舞いに来る。そうして二人で、ひそひそ何か話をしている。しんみりした風景だ。かっぽれも、越後も、遠慮してそれを見ないように努めているようである。それもまたいい心掛けだと思う。西脇殿の綽名は、つくし。ひょろ長いからであろうか。美男子ではないけれども、上品だ。学生のような感じがどこかにある。はにかむような微笑は魅力的だ。この人が、僕のお隣りだったら、よかったのにと僕はときどき思う。けれども、深夜、奇妙な声を出して唸《うな》る事があるので、やっぱりお隣りでなくてよかったとも思う。これでだいたい僕の同室の先輩たちの紹介もすんだ事になるのだが、つづいて当道場の特殊な療養生活に就いて少し御報告申しましょう。まず、毎日の日課の時間割を書いてみると、
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六時            起床
七時            朝食
八時ヨリ八時半マデ     屈伸鍛錬
八時半ヨリ九時半マデ    摩擦
九時半ヨリ十時マデ     屈伸鍛錬
十時            場長巡回(日曜ハ指導員ノミノ巡回)
十時半ヨリ十一時半マデ   摩擦
十二時           昼食
一時ヨリ二時マデ      講話(日曜ハ慰安放送)
二時ヨリ二時半マデ     屈伸鍛錬
二時半ヨリ三時半マデ    摩擦
三時半ヨリ四時マデ     屈伸鍛錬
四時ヨリ四時半マデ     自然
四時半ヨリ五時半マデ    摩擦
六時         
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