いう話だ。早く細君に死なれて、いまは年頃の娘さんと二人だけの家庭の様子で、その娘さんも一緒に東京からこの健康道場ちかくの山家《やまが》に疎開《そかい》して来ていて、時々この淋《さび》しき父を見舞いに来る。父はたいていむっつりしている。しかし、ふだんは寡言家《かげんか》でも、突如として恐るべき果断家に変ずる事もある。人格は、だいたい高潔らしい。仙骨《せんこつ》を帯びているようなところもあるが、どうもまだ、はっきりはわからない。まっくろい口髭《くちひげ》は立派だが、ひどい近眼らしく、眼鏡の奥の小さい赤い眼は、しょぼしょぼしている。丸い鼻の頭には、絶えず汗の粒が湧《わ》いて出るらしく、しきりにタオルで鼻の頭を強くこすって、その為《ため》に鼻の頭は、いまにも血のしたたり落ちるくらいに赤い。けれども、眼をつぶって何かを考えている時には、威厳がある。案外、偉いひとなのかも知れない。綽名《あだな》は越後獅子《えちごじし》。その由来は、僕にはわからないが、ぴったりしているような感じもする。松右衛門殿も、この綽名をそんなにいやがってもいないようだ。ご自分からこの綽名を申出たのだという説もあるが、はっきりは、わからない。
2
そのお隣りは、木下清七殿。左官屋さんだ。未だ独身の、二十八歳。健康道場第一等の美男におわします。色あくまでも白く、鼻がつんと高くて、眼許《めもと》すずしく、いかにもいい男だ。けれども少し爪先《つまさ》き立ってお尻《しり》を軽く振って歩く、あの歩き方だけは、やめたほうがよい。どうしてあんな歩き方をするのだろう。音楽的だとでも思っているのかしら。不可解だ。いろんな流行歌も知っているらしいが、それよりも都々逸《どどいつ》というものが一ばんお得意のようである。僕は既に、五つ六つ聞かされた。松右衛門殿は眼をつぶって黙って聞いているが、僕は落ちつかない気持である。富士の山ほどお金をためて毎日五十銭ずつ使うつもりだとか、馬鹿々々《ばかばか》しい、なんの意味もないような唄《うた》ばかりなので、全く閉口のほかは無い。なおその上、文句入りの都々逸というのがあって、これがまた、ひどいんだ。唄の中に、芝居の台詞《せりふ》のようなものがはいるのだ。あら、兄さん、とか何とか、どうにも聞いて居られないのだ。けれども一度に続けて二つ以上は歌わない。いくつでも続けて歌いたいらしいの
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