」にやにや笑いながら言って、僕のベッドの端に腰をおろし、僕にだけ聞えるように急に声を低くして、「実はね、これは僕の書いた英文なんです。きっと文法の間違いがあるだろうから、君に直してもらいたいんです。読めばわかるだろうが、どうもこの道場の人たちは、僕をよっぽど英語の達人だと買いかぶっているらしく、いまにこの道場へアメリカの兵隊が来たら、或《ある》いは僕を通訳としてひっぱり出すかも知れないんだ。その時の事を思うと、僕は心配で仕様がないんですよ。察してくれたまえ。」と言って、てれ隠しみたいにうふふと笑った。
「だって、あなたは本当に英語がよくお出来になるようじゃありませんか。」と僕は、便箋をぼんやり眺《なが》めながら言った。
「冗談じゃない。とてもそんな通訳なんて出来やしないよ。どうも僕は少し調子に乗って、助手たちに英語の披露《ひろう》をしすぎたんだ。これで通訳なんかにひっぱり出されて、僕がへどもどまごついているところを見られたら、あの助手たちが、どんなに僕を軽蔑《けいべつ》するか、わかりゃしない。どうも、こんなに弱った事は無い。このごろ、それが心配で、夜もよく眠られぬくらいなんだ。御賢察にまかせるよ。」と言って、また、うふふと笑った。
僕は便箋の英文を読んで見た。ところどころ僕の知らない単語などがあったが、だいたい次のような意味の英文であった。
君、怒リ給《たも》ウコト勿《なか》レ。コノ失礼ヲ許シ給エ。我輩ハアワレナ男デアル。ナゼナラバ、我輩ハ英語ニ於《オ》イテ、聞キトルコトモ、言ウコトモ、ソノホカノコトモ、スベテ赤子《あかご》ノ如《ごと》キデアル。ソレラノ行為ハ、我輩ノ能力ノハルカ、カナタニ横タワッテイルノデアル。ノミナラズ、カツマタ、我輩ハ肺病デアル。君、注意セヨ! アア、危イ! 君ニ伝染ノ可能性スコブル多大デアル。シカシナガラ、我輩ハ君ヲ深ク信ジル。神ノ御名《みな》ニ於イテ、君ハ非常ニ気品高キ紳士デアルコトヲ認メル。君ハ必ズコノアワレナ男ニ同情ヲ持ツデアロウコトヲ我輩ハ疑ワナイノデアル。我輩ハ英語ノ会話ニ於イテ、ホトンド不具者デアルガ、カロウジテ、読ム事ト書ク事ガ出来ル。モシ、君ガ充分ノ親切心ト忍耐力トヲ保有シテイルナラバ、君ノ今日ノ用事ヲコノ紙片ニ書キシタタメテ欲シイ。シカシテ、一時間ノ忍耐ヲ示シテ欲シイ。我輩ハソノ期間ニ、我輩自身ヲ我輩ノ私室ニ密閉シ、君ノ
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