眺め見渡し、私には如何《いか》なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗《きれい》に私からミリタリズムの幻影を剥《は》ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的《きんてき》を射貫いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇《てんかん》持ちみたいな男になりました。
と言っても決して、兇暴《きょうぼう》な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。
さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれか
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