くないわ。つらいのよ、あたしは。信じて下さる?」
 すこし笑って花江さんの眼が妙に光って来たと思ったら、それは涙でした。
 私は花江さんにキスしてやりたくて、仕様がありませんでした。花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。
「この辺のひとたちは、みんな駄目ねえ。あたし、あなたに、誤解されてやしないかと思って、あなたに一こと言いたくって、それできょうね、思い切って」
 その時、実際ちかくの小屋から、トカトントンという釘打つ音が聞えたのです。この時の音は、私の幻聴ではなかったのです。海岸の佐々木さんの納屋《なや》で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。トカトントン、トントントカトン、とさかんに打ちます。私は、身ぶるいして立ち上りました。
「わかりました。誰にも言いません。」花江さんのすぐうしろに、かなり多量の犬の糞《ふん》があるのをそのとき見つけて、よっぽどそれを花江さんに注意してやろうかと思いました。
 波は、だるそうにうねって、きたない帆をかけた船が、岸のすぐ近くをよろよろと、とおって行きます。
「それじゃ、失敬」
 空々漠々たるものでした。貯金がどうだって、俺の知った事か
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