にあるのにちがいない。私もまたヴァイオリンよりヴァイオリンケエスを気にする組ゆえ、馬場の精神や技倆より、彼の風姿や冗談に魅せられたのだというような気もする。彼は実にしばしば服装をかえて、私のまえに現われる。さまざまの背広服のほかに、学生服を着たり、菜葉服を着たり、あるときには角帯に白足袋という恰好で私を狼狽《ろうばい》させ赤面させた。彼の平然と呟くところに依れば、彼がこのようにしばしば服装をかえるわけは、自分についてどんな印象をもひとに与えたくない心からなんだそうである。言い忘れていたが、馬場の生家は東京市外の三鷹村|下連雀《しもれんじゃく》にあり、彼はそこから市内へ毎日かかさず出て来て遊んでいるのであって、親爺は地主か何かでかなりの金持ちらしく、そんな金持ちであるからこそ様様に服装をかえたりなんかしてみることもできるわけで、これも謂わば地主の悴《せがれ》の贅沢《ぜいたく》の一種類にすぎないのだし、――そう考えてみれば、べつだん私は彼の風采《ふうさい》のゆえにひきつけられているのでもないようだぞ。金銭のせいであろうか。頗《すこぶ》る言いにくい話であるが、彼とふたりで遊び歩いていると勘定
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