りであると言って、こうからだが太って来ると、いよいよ危いのだ、と小声で附け加えた。私は日ましに彼と仲良くなった。なぜ私は、こんな男から逃げ出さずに、かえって親密になっていったのか。馬場の天才を信じたからであろうか。昨年の晩秋、ヨオゼフ・シゲティというブダペスト生れのヴァイオリンの名手が日本へやって来て、日比谷の公会堂で三度ほど演奏会をひらいたが、三度が三度ともたいへんな不人気であった。孤高|狷介《けんかい》のこの四十歳の天才は、憤ってしまって、東京朝日新聞へ一文を寄せ、日本人の耳は驢馬《ろば》の耳だ、なんて悪罵《あくば》したものであるが、日本の聴衆へのそんな罵言の後には、かならず、「ただしひとりの青年を除いて」という一句が詩のルフランのように括弧でくくられて書かれていた。いったい、ひとりの青年とは誰のことなんだとそのじぶん楽壇でひそひそ論議されたものだそうであるが、それは、馬場であった。馬場はヨオゼフ・シゲティと逢って話を交した。日比谷公会堂での三度目の辱かしめられた演奏会がおわった夜、馬場は銀座のある名高いビヤホオルの奥隅の鉢の木の蔭《かげ》に、シゲティの赤い大きな禿頭《はげあたま》
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