め見た印象で言えば、シルレルの外套である。天鵞絨《ビロード》と紐釦《ボタン》がむやみに多く、色は見事な銀鼠《ぎんねず》であって、話にならんほどにだぶだぶしていた。そのつぎには顔である。これをもひとめ見た印象で言わせてもらえば、シューベルトに化け損ねた狐である。不思議なくらいに顕著なおでこと、鉄縁の小さな眼鏡とたいへんなちぢれ毛と、尖《とが》った顎《あご》と、無精鬚《ぶしょうひげ》。皮膚は、大仰な言いかたをすれば、鶯《うぐいす》の羽のような汚い青さで、まったく光沢がなかった。その男が赤毛氈の縁台のまんなかにあぐらをかいて坐ったまま大きい碾茶《ひきちゃ》の茶碗でたいぎそうに甘酒をすすりながら、ああ、片手あげて私へおいでおいでをしたでないか。ながく躊躇《ちゅうちょ》をすればするほどこれはいよいよ薄気味わるいことになりそうだな、とそう直覚したので、私は自分にもなんのことやら意味の分らぬ微笑を無理して浮べながら、その男の坐っている縁台の端に腰をおろした。
「けさ、とても固いするめを食ったものだから」わざと押し潰《つぶ》しているような低いかすれた声であった。「右の奥歯がいたくてなりません。歯痛ほど
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