かしながら私は、はじめから歡迎されなかつたやうである。無理心中といふ古くさい概念を、そろそろとからだで了解しかけて來た矢先、私は手ひどくはねつけられ、さうしてそれつきりであつた。相手はどこかへ消えうせたのである。
友人たちは私を呼ぶのに佐野次郎左衞門、もしくは佐野次郎《さのじろ》といふ昔のひとの名でもつてした。
「さのじろ。――でも、よかつた。そんな工合ひの名前のおかげで、おめえの恰好もどうやらついて來たぢやないか。ふられても恰好がつくなんてのは、てんからひとに甘つたれている證據らしいが、――ま、落ちつく。」
馬場がさう言つたのを私は忘れない。そのくせ、私を佐野次郎なぞと呼びはじめたのは、たしかに馬場なのである。私は馬場と上野公園内の甘酒屋で知り合つた。清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁臺を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合つた。
私が講義のあひまあひまに大學の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていつて、その甘酒屋にちよいちよい立ち寄つたわけは、その店に十七歳の、菊といふ小柄で利發さうな、眼のすずしい女の子がゐて、それの樣が私の戀の相手によくよく似てゐたからであつた。私の
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