のヴアイオリンの名手が日本へやつて來て、日比谷の公會堂で三度ほど演奏會をひらいたが、三度が三度ともたいへんな不人氣であつた。孤高狷介のこの四十歳の天才は、憤つてしまつて、東京朝日新聞へ一文を寄せ、日本人の耳は驢馬の耳だ、なんて惡罵したものであるが、日本の聽衆へのそんな罵言の後には、かならず、「ただしひとりの青年を除いて。」といふ一句が詩のルフランのやうに括弧でくくられて書かれてゐた。いつたい、ひとりの青年とは誰のことなんだとそのじぶん樂壇でひそひそ論議されたものださうであるが、それは、馬場であつた。馬場はヨオゼフ・シゲテイと逢つて話を交《かは》した。日比谷公會堂での三度目の辱かしめられた演奏會がをはつた夜、馬場は銀座のある名高いビヤホオルの奧隅の鉢の木の蔭に、シゲテイの赤い大きな禿頭を見つけた。馬場は躊躇せず、その報いられなかつた世界的な名手がことさらに平氣を裝うて薄笑ひしながらビイルを舐めてゐるテエブルのすぐ隣りのテエブルに、つかつか歩み寄つていつて坐つた。その夜、馬場とシゲテイとは共鳴をはじめて、銀座一丁目から八丁目までのめぼしいカフヱを一軒一軒、たんねんに呑んでまはつた。勘定はヨオゼフ・シゲテイが拂つた。シゲテイは、酒を呑んでも行儀がよかつた。黒の蝶ネクタイを固くきちんと結んだままで、女給たちにはつひに一指も觸れなかつた。理智で切りきざんだ工合ひの藝でなければ面白くないのです。文學のはうではアンドレ・ジツドとトオマス・マンが好きです、と言つてから淋しさうに右手の親指の爪を噛んだ。ジツドをチツトと發音してゐた。夜のまつたく明けはなれたころ、二人は、帝國ホテルの前庭の蓮の池のほとりでお互ひに顏をそむけながら力の拔けた握手を交してそそくさと別れ、その日のうちにシゲテイは横濱からエムプレス・オブ・カナダ號に乘船してアメリカへむけて旅立ち、その翌る日、東京朝日新聞にれいのルフラン附きの文章が掲載されたといふわけであつた。けれども私は、彼もさすがにてれくささうにして眼を激しくしばたたかせながら、さうして、おしまひにはほとんど不機嫌になつてしまつて語つて聞かせたこんなふうの手柄話を、あんまり信じる氣になれないのである。彼が異國人と夜のまつたく明けはなれるまで談じ合ふほど語學ができるかどうか、さういふことからして怪しいもんだと私は思つてゐる。疑ひだすと果しがないけれども、いつ
前へ 次へ
全23ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング