その女のひとは、やはり少しも笑わずにショールをはずして私にお辞儀をかえしました。
 その時、矢庭に夫は、下駄を突っかけて外に飛び出ようとしました。
「おっと、そいつあいけない」
 男のひとは、その夫の片腕をとらえ、二人は瞬時もみ合いました。
「放せ! 刺すぞ」
 夫の右手にジャックナイフが光っていました。そのナイフは、夫の愛蔵のものでございまして、たしか夫の机の引出しの中にあったので、それではさっき夫が家へ帰るなり何だか引出しを掻きまわしていたようでしたが、かねてこんな事になるのを予期して、ナイフを捜し、懐にいれていたのに、違いありません。
 男のひとは身をひきました。そのすきに夫は大きい鴉《からす》のように二重廻しの袖をひるがえして、外に飛び出しました。
「どろぼう!」
 と男のひとは大声を挙げ、つづいて外に飛び出そうとしましたが、私は、はだしで土間に降りて男を抱いて引きとめ、
「およしなさいまし。どちらにもお怪我があっては、なりませぬ。あとの始末は、私がいたします」
 と申しますと、傍から四十の女のひとも、
「そうですね、とうさん。気ちがいに刃物です。何をするかわかりません」
 と
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