と言いました。
私は奥で揚物《あげもの》をしているご亭主のところへ行き、
「大谷が帰ってまいりました。会ってやって下さいまし。でも、連れの女のかたに、私のことは黙っていて下さいね。大谷が恥かしい思いをするといけませんから」
「いよいよ、来ましたね」
ご亭主は、私の、あの嘘を半ばは危《あやぶ》みながらも、それでもかなり信用していてくれたもののようで、夫が帰って来たことも、それも私の何か差しがねに依っての事と単純に合点している様子でした。
「私のことは、黙っててね」
と重ねて申しますと、
「そのほうがよろしいのでしたら、そうします」
と気さくに承知して、土間に出て行きました。
ご亭主は土間のお客を一わたりざっと見廻し、それから真っ直ぐに夫のいるテーブルに歩み寄って、その綺麗な奥さんと何か二言、三言話を交して、それから三人そろって店から出て行きました。
もういいのだ。万事が解決してしまったのだと、なぜだかそう信ぜられて、流石《さすが》にうれしく、紺絣《こんがすり》の着物を着たまだはたち前くらいの若いお客さんの手首を、だしぬけに強く掴《つか》んで、
「飲みましょうよ、ね、飲みま
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