ロマネスク
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)神梛木《かなぎ》村
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)百|米《メートル》くらいの高さであった。
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
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仙術太郎
むかし津軽の国、神梛木《かなぎ》村に鍬形惣助《くわがたそうすけ》という庄屋がいた。四十九歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生れるとすぐ大きいあくびをした。惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚《しんせき》の者たちへ肩身のせまい思いをした。惣助の懸念《けねん》はそろそろと的中しはじめた。太郎は母者人《ははじゃひと》の乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、母者人のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま乳房の口への接触をいつまででも待っていた。張子《はりこ》の虎をあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈そうに眺めているだけであった。朝、眼をさましてからもあわてて寝床から這《は》い出すようなことはなく、二時間ほどは眼をつぶって眠ったふりをしているのである。かるがるしきからだの仕草をきらう精神を持っていたのであった。三歳のとき、鳥渡《ちょっと》した事件を起し、その事件のお蔭で鍬形太郎の名前が村のひとたちのあいだに少しひろまった。それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件であった。太郎がどこまでも歩いたのである。
春のはじめのことであった。夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。
満月が太郎のすぐ額のうえに浮んでいた。満月の輪廓《りんかく》はにじんでいた。めだかの模様の襦袢《じゅばん》に慈姑《くわい》の模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞《ばふん》だらけの砂利道《じゃりみち》を東へ歩いた。ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。
翌《あく》る朝、村は騒動であった。三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山《ゆながれやま》の、林檎畑
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