った事もあった。日本の生きている作家に就いては一言も言った事が無かった。第四には、これが最も重大なところかも知れないが、そのひとのアパートには、いつも酒が豊富に在った事である。私は別に自分を吝嗇《りんしょく》だとも思っていないが、しかし、どこの酒場にも借金が溜って憂鬱《ゆううつ》な時には、いきおいただで飲ませるところへ足が向くのである。戦争が永くつづいて、日本にだんだん酒が乏しくなっても、そのひとのアパートを訪れると、必ず何か飲み物があった。私はそのひとのお嬢さんにつまらぬ物をお土産として持って行って、そうして、泥酔《でいすい》するまで飲んで来るのである。以上の四つが、なぜそのひとが私にとって、れいの「唯一のひと」であるかという設問の答案なのであるが、それがすなわちお前たち二人の恋愛の形式だったのではないか、と問いつめられると、私は、間抜け顔して、そうかも知れぬ、と答えるより他は無い。男女間の親和は全部恋愛であるとするなら、私たちの場合も、そりゃそうかも知れないけれど、しかし私は、そのひとに就いて煩悶《はんもん》した事は一度も無いし、またそのひとも、芝居がかったややこしい事はきらってい
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