さすがに、きちんとした二部屋のアパートにいたが、いつも隅々《すみずみ》まで拭《ふ》き掃除《そうじ》が行きとどき、殊にも台所の器具は清潔であった。第二には、そのひとは少しも私に惚《ほ》れていない事であった。そうして私もまた、少しもそのひとに惚れていないのである。性慾に就《つ》いての、あのどぎまぎした、いやらしくめんどうな、思いやりだか自惚《うぬぼ》れだか、気を引いてみるとか、ひとり角力《ずもう》とか、何が何やら十年一日どころか千年一日の如き陳腐《ちんぷ》な男女闘争をせずともよかった。私の見たところでは、そのひとは、やはり別れた夫を愛していた。そうして、その夫の妻としての誇を、胸の奥深くにしっかり持っていた。第三には、そのひとが私の身の上に敏感な事であった。私がこの世の事がすべてつまらなくて、たまらなくなっている時に、この頃おさかんのようですね、などと言われるのは味気ないものである。そのひとは、私が遊びに行くと、いつでもその時の私の身の上にぴったり合った話をした。いつの時代でも本当の事を言ったら殺されますわね、ヨハネでも、キリストでも、そうしてヨハネなんかには復活さえ無いんですからね、と言
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