ては不能者なのである。しかし、恋愛に阿呆《あほう》感は禁物である。私は、科学者の如く澄まして、
「百メートルはあるか。」と言った。
「さあ。」
「メートルならば、実感があるだろう。百メートルは、半丁だ。」と教えて、何だか不安で、ひそかに暗算してみたら、百メートルは約一丁であった。しかし、私は訂正しなかった。恋愛に滑稽《こっけい》感は禁物である。
「でも、もうすぐ、そこですわ。」
 バラックの、ひどいアパートであった。薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が記《しる》されてある。
「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。
 はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアのすりガラスに、何か影が動いた。
「やあ、いる、いる。」と私は言った。
 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。
 母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際《まぎわ》のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。
 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚《しんせき》の進歩党代議士、そのひとの法律事務所に勤めているのだという。
 母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。
 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。
 私たちは部屋にはいらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。
 母は、うなぎが好きであった。
 私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐった。
「いらっしゃいまし。」
 客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでいる紳士がひとり。
「大串《おおぐし》がよござんすか、小串が?」
「小串を。三人前。」
「へえ、承知しました。」
 その若い主人は、江戸っ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪《しちりん》をあおぐ。
「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」こんどは私も少し笑って言った。
 若い主人は、私の言葉を何と解したのか、
「や、かなわねえ。」
 と言って笑い、鉢巻《はちまき
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