だ。
「さようなら。どうも、ありがとう。」と私は言った。
「さようなら。」とお篠も言った。
 これでよし、あとはひとりで雀焼きという事になる。私は部屋に通され、番頭の敷いてくれた蒲団《ふとん》にさっさともぐり込んで、さて、これからゆっくり寒雀をと思ったとたんに玄関で、
「番頭さん!」と呼ぶお篠の声。私は、ぎょっとして耳をすました。
「あのね、下駄《げた》の鼻緒《はなお》を切らしちゃったの。お願いだから、すげてね。あたしその間、お客さんの部屋で待ってるわ。」
 これはいけない、と私は枕元《まくらもと》の雀焼きを掛蒲団の下にかくした。
 お篠は部屋へはいって来て、私の枕元にきちんと坐り、何だか、いろいろ話しかける。私は眠そうな声で、いい加減の返辞をしている。掛蒲団の下には雀焼きがある。とうとうお篠とは、これほどたくさんのチャンスがあったのに、恋愛のレの字も起らなかった。お篠はいつまでも私の枕元に坐っていて、そうしてこう言った。
「あたしを、いやなの。」
 私はそれに対してこう答えた。
「いやじゃないけど、ねむくって。」
「そう。それじゃまたね。」
「ああ、おやすみ。」と私のほうから言った。
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