に、鴎《かもめ》の泣き声に似た声が、釜の中から聞えた切りで、あとは又、お湯の煮えたぎる音と、老婆の低い呪文の声ばかりでありました。
 あまりの事に、王子は声もすぐには出ませんでした。ほとんど呟くような低い声でようやく、
「何をするのだ! 殺せとは、たのまなかった。釜で煮よとは、いいつけなかった。かえしてくれ。私のラプンツェルを返してくれ。おまえは、悪魔だ!」とだけは言ってみたものの、それ以上、老婆に食ってかかる気力もなく、ラプンツェルの空のベッドにからだを投げて、わあ! と大声で、子供のように泣き出しました。
 老婆は、それにおかまいなく、血走った眼で釜を見つめ、額から頬から頸《くび》から、だらだら汗を流して一心に呪文をとなえているのでした。ふっと呪文が、とぎれた、と同時に釜の中の沸騰の音も、ぴたりと止みましたので、王子は涙を流しながら少し頭を挙げて、不審そうに祭壇を見た時、嗚呼《ああ》、「ラプンツェル、出ておいで。」という老婆の勝ち誇ったような澄んだ呼び声に応えて、やがて現われた、ラプンツェルの顔。

       その六

 ――美人であった。その顔は、輝くばかりに美しかった。――
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