気が附かない。」王子は、ひどく口をとがらせて唸《うな》るように言いました。「つまらない事ばかり言っている。きょうの質問は実にくだらぬ。」
「あなたは、なんにも御存じ無いのです。あたしは、このごろ、とても苦しいのですよ。あたし、やっぱり、魔法使いの悪い血を受けた野蛮な女です。生れる子供が、憎くてなりません。殺してやりたいくらいです。」と声を震わせて言って、下唇を噛みました。
気弱い王子は戦慄《せんりつ》しました。こいつは本当に殺すかも知れぬと思ったのです。あきらめを知らぬ、本能的な女性は、つねに悲劇を起します。」
長女は、自信たっぷりの顔つきで、とどこおる事なく書き流し、ここまで書いて静かに筆を擱《お》いた。はじめから読み直してみて、時々、顔をあからめ、口をゆがめて苦笑した。少し好色すぎたと思われる描写が処々に散見されたからである。口の悪い次男に、あとで冷笑されるに違いないと思ったが、それも仕方がないと諦めた。自分の今の心境が、そのまま素直にあらわれたのであろう、悲しいことだと思ったりした。でもまた、これだけでも女性の心のデリカシイを描けるのは兄妹中で、私の他には無いのだと、幽かに誇る気持もどこかにあった。書斎には火の気が無かった。いま急に、それに気附いて、おう寒い、と小声で呟き、肩をすぼめて立ち上り、書き上げた原稿を持って廊下へ出たら、そこに意味ありげに立っている末弟と危く鉢合せしかけた。
「失敬、失敬。」末弟は、ひどく狼狽している。
「和ちゃん、偵察しに来たのね。」
「いやいや、さにあらず。」末弟は顔を真赤にして、いよいよへどもどした。
「知っていますよ。私が、うまく続けたかどうか心配だったんでしょう?」
「実は、そうなんだよ。」末弟は小声であっさり白状した。
「僕のは下手だったろうね。どうせ下手なんだからね。」ひとりで、さかんに自嘲をはじめた。
「そうでもないわよ。今回だけは、大出来よ。」
「そうかね。」末弟の小さい眼は喜びに輝いた。「ねえさん、うまく続けてくれたかね。ラプンツェルを、うまく書いてくれた?」
「ええ、まあ、どうやらね。」
「ありがたい!」末弟は、長女に向って合掌した。
その四
三日目。
元日に、次男は郊外の私の家に遊びに来て、近代の日本の小説を片っ端からこきおろし、ひとりで興奮して、日の暮れる頃、「こりゃ、いけない。熱が出たようだ。」と呟き、大急ぎで帰っていった。果せるかな、その夜から微熱が出て、きのうは寝たり起きたり、けさになっても全快せず、まだ少し頭が重いそうで蒲団《ふとん》の中で鬱々としている。あまり、人の作品の悪口を言うと、こんな具合いに風邪《かぜ》をひくものである。
「いかがです、お加減は。」と言って母が部屋へはいって来て、枕元に坐り、病人の額《ひたい》にそっと手を載せてみて、「まだ少し、熱があるようだね。大事にして下さいよ。きのうは、お雑煮を食べたり、お屠蘇《とそ》を飲んだり、ちょいちょい起きて不養生をしていましたね。無理をしては、いけません。熱のある時には、じっとして寝ているのが一ばんいいのです。あなたは、からだの弱い癖に、気ばかり強くていけません。」
さかんに叱られている。次男は、意気|銷沈《しょうちん》の態《てい》である。かえす言葉も無く、ただ、幽《かす》かに苦笑して母のこごとを聞いている。この次男は、兄妹中で最も冷静な現実主義者で、したがって、かなり辛辣《しんらつ》な毒舌家でもあるのだが、どういうものか、母に対してだけは、蔓草《つるくさ》のように従順である。ちっとも意気があがらない。いつも病気をして、母にお手数をかけているという意識が胸の奥に、しみ込んでいるせいでもあろう。
「きょうは一日、寝ていなさい。むやみに起きて歩いてはいけませんよ。ごはんも、ここでおあがり。おかゆを、こしらえて置きました。さと(女中の名)が、いま持って来ますから。」
「お母さん。お願いがあるんだけど。」すこぶる弱い口調である。「きょうはね、僕の番なのです。書いてもいい?」
「なんです。」母には一向わからない。「なんの事です。」
「ほら、あの、連作を、またはじめているんですよ。きのう、僕は退屈だったものだから、姉さんに頼んで無理に原稿を見せてもらって、ゆうべ一晩、そのつづきを考えていたのです。今度のは、ちょっと、むずかしい。」
「いけません、いけません。」母は笑いながら、「文豪も、風邪をひいている時には、いい考えが浮びません。兄さんに代ってもらったらどう?」
「だめだよ。兄さんなんか、だめだよ。兄さんにはね、才能が、無いんですよ。兄さんが書くと、いつでも、演説みたいになってしまう。」
「そんな悪口を言っては、いけません。兄さんの書くものは、いつも、男らしくて立派じゃありませんか。お母さん
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