を参考にしてそろそろとおのれの論陣をかためて行く。因果。
「私は、はかなくもばかげたこの虚栄の市を愛する。私は生涯、この虚栄の市に住み、死ぬるまでさまざまの甲斐《かい》なき努力しつづけて行こうと思う。」
虚栄の子のそのような想念をうつらうつらまとめてみているうちに、私は素晴らしい仲間を見つけた。アントン・ファン・ダイク。彼が二十三歳の折に描いた自画像である。アサヒグラフ所載のものであって、児島喜久雄というひとの解説がついている。「背景は例の暗褐色。豊かな金髪をちぢらせてふさふさと額《ひたい》に垂らしている。伏目につつましく控えている碧《あお》い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃色の唇も相当なものである。肌理《きめ》の細かい女のような皮膚の下から綺麗《きれい》な血の色が、薔薇色《ばらいろ》に透いて見える。黒褐色の服に雪白の襟《えり》と袖口《そでぐち》。濃い藍《あい》色の絹のマントをシックに羽織っている。この画は伊太利亜《イタリア》で描いたもので、肩からかけて居る金鎖はマントワ侯の贈り物だという。」またいう、「彼の作品は常に作後の喝采《かっさい》を目標として、病弱の五体に鞭《むち》うつ彼の虚
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