の二字で片づけ、懐疑説の矛盾をわずか数語でもって指摘し去り、ジッドの小説は二流也と一刀のもとに屠《ほふ》り、日本浪曼派は苦労知らずと蹴って落ちつき、はなはだしきは読売新聞の壁評論氏の如く、一篇の物語(私の「猿ヶ島」)を一行の諷刺《ふうし》、格言に圧縮せむと努めるなど、さまざまの殺伐なるさまを述べようと思っていたのだが、秋空のせいか、ふっと気がかわって、われながら変なことになってしまった。これは、明かに失敗である。

     病躯の文章とそのハンデキャップに就いて

 確かに私は、いま、甘えている。家人は私を未だ病人あつかいにしているし、この戯文を読むひとたちもまた、私の病気を知っている筈《はず》である。病人ゆえに、私は苦笑でもって許されている。
 君、からだを頑健にして置きたまえ。作家はその伝記の中で、どのような三面記事をも作ってはいけない。

[#ここから1字下げ]
 追記。文芸冊子「散文」十月号所載山岸外史の「デカダン論」は細心|鏤刻《るこく》の文章にして、よきものに触れたき者は、これを読め。
[#ここで字下げ終わり]

     「衰運」におくる言葉

  ひややかにみづをたた
前へ 次へ
全47ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング